はじめまして。
ふじみと申します。
私のストーリー&想いを書かせていただきました。


私がChatGPTに出会ったのは2023年の1月ごろ。
その頃はまだテキストベースの検索機能に近い感覚で使ってました。
イラストが描けると知ったのは6月ごろ。
描いてみたい!!という気持ちだけ一人歩きし始めました。

私はイラスト・写真やデザインなど、創作といったことが大好きなんです。
でも、あまり絵は上手くなくて。
上手くないというのはちょっと違うんですが、表現の仕方が悪いといった方がいいのかもしれません。
デッサンやクロッキー、下絵は完璧と先生からは言われるんですが、色を付けると残念w。
絵の具の使い方が悪いんでしょうね。

そういうとことから好きなんだけど、人に見せるのはと、トラウマっぽく思ってました。

イラストや絵を描くことに躊躇している私。
でも、ChatGPTを使うことによって、そんなこと思わなくていいんですよ。

テキストベースで、「桜が満開な土手を描いて」と言ったら描いてくれるんです。
左のイラストがそうです。

指示の仕方を変えれば、写真っぽくしたり、水彩画っぽくしたりと、さまざまな方法・手法で描いてくれます。

いろんなことができるんですよ。

ChatGPTは私がトラウマに思っていた部分をカバーしてくれたんです。

「モノクロ」だった私のイラストに彩(いろ)をくれました。


イラストを作り始めて2カ月の時の作品たち

 

スキルなんて必要ない。
そりゃぁ、ないよりあった方がいいのですが、指示を与えることができればOK。
やる気さえあればどんなイラストでも描けるんだと自信が付き、またデザインとかやりたい!!
という気持ちにさせてくれました。

写真をやっていた時の構図や光の使い方・表現方法など、活かせるものはたくさんあります。

そういうものを上手に使い、生成AIイラストを使用した創作をしたくて、戻ってきました。

  

サラリーマンとは違う日常

私は自営業の家に生まれました。
父の職業は写真館の店主。
ま、私が生まれたころは店主でも何でもない、写真館で働くイチサラリーマンでした。

DPE屋さん(イメージ)

父は工業高校を出て、普通に就職をした普通のサラリーマン。
仕事中怪我をして、その仕事ができなくなったので、入院中に写真の専門学校へ行き、基礎知識、技術の習得をしたそうです。
その後、2つの写真館で勉強し独立。
私が生まれたのは2つ目の写真館で一生懸命働いていたころでした。
が、もちろん私にはそんな記憶もなく、覚えているのはDPE屋さんをしている父の姿。
DPE屋さんって若い人はご存じないかもしれませんね。
DPE屋さんというのはアナログカメラで撮影したフィルムを現像したり、プリントしたりするお店。
カメラも一緒に販売してたなぁ。

今でいう「チェキ」みたいなインスタントカメラや、アナログフィルムもいろんな種類があるんですよ。

 

父が開業したのは、DPE屋さんもなければ写真館もないような小さな田舎の町でしたがお客さんはそこそこ。
父は毎朝起きたら食卓に座ってましたし、夕食も一緒に取るといった感じでそれが私の日常でした。
小学校に行くようになり、普通のサラリーマンの家庭とうちは全然違うんだということを知ったくらいです。

父の背中を見て育ってきた私は「魔法の部屋」に入るのが大好きでした。
魔法の部屋」って何なんだって感じですよね。
暗室のことです。

現在はデジタルカメラの普及により、白黒写真特にアナログカメラを使う人は少なくなりましたが、当時はカラーが主流だったにも関わらず、まだまだ白黒写真の需要も多かったのです。

今はね、勉強したので化学反応を起こして画像が出てくるという原理を理解しているので、何の不思議にも思いませんが、
何も知らない頃は、白い紙に光を当てて、液に付けたら、ゆっくりゆっくり風景や人物が浮かび上がってくるんです。
不思議以外のナニモノでもありませんた。
しかも印画紙(写真の紙)に光を当てるときに、ぶつぶつ言いながらやってたから、それも呪文に聞こえていたんでしょうね。

 

跡継ぎとして育てられ

高校は普通科でしたが、情報科学学科のあるところに通っていました。
でも、文系ねw
数学とか物理とか、全くできません。あ、もちろん英語も。
でも、化学は意外と好きでした。
コンピューターの成り立ちや2進数など、コンピューターで必要なことを習い、当時ではかなり個性的な人の集まりであった「情報科学部」にも入りました。
当時はまだインターネットがなかったので、パソコン通信や、今でいうアプリを作るための言語、自作PCを夏休みに作って、文化祭で発表など、ワープロ競技会というのもあってね、全国大会にも出場したり、いろんなことを経験。
そのころから画像処理にも興味があって(父親がそういうものが好きだったので)自己流で勉強も始めました。
大学は芸術大学の写真学科を選びました。
そこで写真の基礎、知識、あとはなんかいっぱい習ったと思います。
特別講師ということで国内外から有名な写真家を招待してくれて、サイン欲しさに教授室に入り浸ってました。
撮影旅行にもたくさん行きました。国内外問わず。
どこ行くにも一眼レフもってたくさん撮影し、写真コンテストにも応募したり。
所蔵作品も多く、いろんな展示会や写真展にも行って勉強したけど、一般教養の授業をさぼる言い訳だったのかもしれません。
芸術大学ということもあり、一般教養もちょっと違っていたのかもしれません。
映画を見るだけの授業だったり、広告と社会心理学という授業は本当におもしろかった。
街づくりの授業、古文の授業も取っていたような。

4回生になり、画像処理のゼミを選択。
Photoshopの使い方やデジタルデータの作り方などを教わった。
Photoshopもね、アイコンが目のマークのだったから、懐かしい人はめっちゃ懐かしいのではないでしょうか。
ブランクはあるものの、25年ほどお付き合いしてますねw
一般的な画像処理と写真館の業務としてとは似て非なるものなので、協会のセミナーや、実際使われている写真館に見学させてもらいに行ったりもした。
当時はまだデジタル技術はそこまで進んではいなかったものの、早くから取り入れられている人も意外と多く、特に印刷会社さんは将来のためにいろんなテストや研究をされてました。
協会のセミナーに行っても比較的若い人も多ければ、時代に取り残されないようにと大先輩の館主さんも出席されていて、こういうツールを使って修正するんですよぉって教わった。

意外と多い修正例は「着物の合わせ」七五三や成人式の時、プロの美容師さんでもたまに合わせが逆の左前になってることがあって。これは本当にかわいそう。撮影終了後、時間があるのであれば、着付けのし直しをしてました。

証明写真で肌をきれいに見せる方法、これはもう使っている人いないんじゃないかと思いますが、私は自分の履歴書や何かに提出するときの写真には未だにこの方法で肌をキレイにしてます。

といった情報は業界ならではとなってきます。

家族写真の一場面(イメージ)

大学卒業後は修行にいきました。
初めて親元を離れての生活。
お金をいただきながら勉強で、周りの先輩や同期と比較され、悔しい思いをする毎日でした。
「おまえなぁ、大学で何習ってきたんや。大学やからあかんのか、専門学校で直して来い!!」って。
今やったら完全アウトですよねw
でも、こういってくれる先輩がいたからこそ、悔しいと思って勉強もし直せたんだと思います。

修行先の写真館は基本的にはアナログで少しデジタル商品がありました。
撮影技術はシャッターを切るだけではないです。
ライティングやお客さんの表情など、そういうところをしっかり学ばせてもらいました。



修行が終わり、実家の写真館での勤務です。
以前から簡単に作っていた写真館のHPを作り直そうということになり、試行錯誤。
簡単に作っていたのも「はじめてのホームページ作り」という地域のセミナーで教えてもらっただけのもの。今はもう見れませんが、恥ずかしいったらありゃしないw
私にとってのWebサイトの初作品でした。
無料で作成できるWebサイトのサービスが結構出てきていたので、そちらのサービスを利用し、作成。
未だにそのサービスで公開されてます。

illustratorを使い始めたのもこのころで、新聞の折り込みチラシを作りたいとのことで。
同じAdobeの製品でも全く違ったことに驚きでした。
PhotoshopはRGB、illustratorはCMYKといったここからの勉強で。
画像の配置などは感覚ででき、テキストも打ち込むだけなので、問題ない。
さて、写真館のロゴや地図なんかはどうしたらいいのだろうか。
チラシを印刷してもらう印刷会社の方に電話して聞きました。
(普通じゃ非常識な話なんでしょうか)
この印刷会社の方は折込チラシだけでなく、学校の卒業アルバムや学校史など、いろいろお世話になっているところなので、対応してくれたのかもしれません。
そして、その印刷会社に作り方を教えてもらいにお邪魔したんです。
トンボなんてのも私にとっては初めて聞く言葉でした。
写真館のロゴや地図等は以前のチラシのデータをもらい、そのまま配置して、テキストもすべてアウトライン化して入稿。
入稿後も親切にこうした方がいいよとかいろいろ教えてもらい、この印刷会社の方がいらっしゃらなければ印刷物の受注はできなかったかもしれません。
無事印刷もあがり、折込チラシとしてお嫁に行きました。

これをきっかけに名刺やショップカードの受注もするようになり、オリジナル性があるということで好評でした。
年賀状や結婚のお知らせなどのはがきもテンプレートバージョンと完全オリジナルバージョンで作成してましたが、値段は高くなっても完全オリジナルバージョンを選んでくださるお客様が多く、私のデザインスキルも上がっていく一方でした。
写真集も好評で、作れば作るほど、「これよりいいもの作ってください」といわれ、生みの苦しみもいっぱい味わいました。

 

離れても忘れられなかった

結婚し、実家を離れました。
いろんなところでパートなどしてましたが、やはり芸術というか、アートというか、そういうものが好きなようでして。

近くに大型ショッピングセンターができることになり、そこに入るシネコンの求人を見つけたんです。

勤務希望職種:映写室

見事に採用になり、勤務開始!!
映写室の仕事って、映写機回す以外にもいろいろあるんですよ。

今はデジタルなので、アナログ時代の話をしてもねぇ。

映画のフィルムって、どういう感じで映画館に送られてくるかご存じですか?
何本かに分割されて送られてくるんです。
それを1巻2巻~最終巻まで透明のテープでくっつけて1本の映画にします。
約2時間の映画で6~8巻程度をテープでくっつけるんです。

お客様に見てもらう前に一度上映して、テストします。音声、巻のつなぎ目、字幕など。
上映期間が終了したら、ばらして、配給会社に返却します。

そのほかにもいろんな仕事があるんですよ。
この仕事はめっちゃ楽しかったです。

フィルムが入っている専用のコンテナ(イメージ)

 

フォルムってこんな感じ(イメージ)

建設コンサルティング会社で働いていたころ。
illustratorやPhotoshopもたくさん使って資料作成してました。
どんなところで使うの?なんですけど、航空写真のつなぎ合わせとか、地図やポンチ絵描いたり。
この時に生成AIでイラスト作れてたらとめっちゃ思います。
いろんなイラストをillustrator使って描いていたんです。
車やお家、お店屋さんや公共施設など。

色々事務的な仕事をしましたが、やっぱりPhotoshopやillustratorを使ったデザインの仕事がしたいなぁと思い、最近少しずつご紹介いただいた方で作ってました。
やればやるほど面白いデザイン。

今は生成AIイラストを使って、SNSのアイコンやバナー、チラシなど作成しております。
イラスト生成していたら楽しくて楽しくて、いろんな方に紹介したいくらいです。
あと、AIにイラストを描いてもらうので、以前より、時短にもなって、効率がぐんと上がっております。
イラストのクオリティも高く、あなたの想いを心を込めてカタチにいたします。
そのお手伝いをさせていただけると大変幸いです。